テニプリのファンをやめた話
テニプリのファンをやめた。
連載開始当時からのファンだったから、約19年間、応援していたことになる。
こんな文法もデタラメな落書きを読むインターネットマンたちは、きっと私がファンをやめることになった発端の事件を知っていることと思う。
作者と運営が、ディナーを食べながら人生相談を行うというイベントで、抽選を謳いながらお気に入りのファンを当選させていたのではないか、という疑惑が浮上した件だ。
発覚当時、私は荒れていた。
当選者がよく当選系のイベントに参加していることも、作者から認知があったことも知っていたし、そもそも作者に"お気に入りのファン"がいることも、知っていた。
信者が多い今では考えられないことだが、昔は、出たがりの作者を嫌うファンも多く、昔からファンレターを送り続けているファンは作者にとってもかけがえのない存在だったことだろう。
私自身、作者の悪口を堂々と言う風潮はあまり好きではなかった為、近年の作者崇拝化を特に気持ち悪いとは感じていなかったし、むしろ居心地がいいとすら感じていた。
贔屓があることに関して、文句はない。
作者のディナーには特に興味もないし、金銭が絡むものでなければ、好きにやってくれ、と思っていた。
しかし、今回のイベントは、本を買わないと、応募ができないものだった。
金銭が絡むもの、つまり、疑惑が本当なら"詐欺"だ。
流石に犯罪は看過出来ない為、本当だとしたら最低だ、とツイートした。
批判的に見ていたファンのほとんどは、"本当ならば謝罪してほしい"、"事実を述べてほしい"と言っていたように思う。
自分が間違ったことを言ったとは、今でも思っていない。
しかし、作者が謝罪コメントを出した後、界隈の空気が変わった。
「お前らが疑ったせいで先生が謝ったんだ、謝れ」という空気を醸し出すファンが急増したのだ。
疑問を呈することもまるで大バッシングかのように言われ、確実な証拠もないのに疑うなと怒られた。
別に詐欺をしていないという証拠もないのだが、どちらにせよ悪魔の証明なので、どうしようもない。
そしてとうとう、疑ったやつは死ね、という人まで現れた。
ここでようやく、作者を崇拝する風潮はいいことばかりではないと気がついた。
"悪いと思うこと"が、何も言えない。
詐欺ではないか、という指摘だけで、まるでこちらが犯罪者かのように、逆にバッシングされてしまう。
これでは本当に新興宗教の洗脳となんら変わりがない。
それに気がついた時、ゾッとした。
これからずっと、作者がやることなすこと、全てを肯定しなければこちらが悪者になるのか?
今回の件で、「作者が絶対に贔屓していた」とは私は言わない。
していたかもしれないし、していなかったかもしれない。
どちらの証拠も無いし、何を信じるかは自由だ。
ただ、私は少し疲れてしまった。
今の若い子のように、バッシングされても食らいついていけるような、かつてのエネルギーはもうない。
だからもう潮時だったのだろう。
中学3年生男子の応援なんて、アラサーの女がしていいものではなかった。
きっとこれを読んでいる人の中には、たかだか漫画1つでウジウジ言いやがって、と思う人もいるに違いない。
正論だ。
それでも私は、ずっとテニスの王子様という作品だけを愛し、お金を注ぎ込んできた。
私にとって、それだけが人生だったのだ。
ただ純粋に、1人のテニスプレイヤーが、ずっとテニスを楽しくしていられますようにと、それだけを願い、応援してきたはずだった。
彼は今の私を見て、なんと言うだろうか。
一部のファン曰く、「王子様たちも幻滅する」らしいが、私の知ってる彼は、正しいと思ったことはきちんと発言する人のはずだった。
そういうキャラクターとして描かれているはずだった。
彼ならば、それは正しいと言ってくれるに違いない、という妄想が、まるでフライパンの焦げのようにこびりついて離れない。
私の心の中に住んでいる彼は、私が作り出してしまった虚構の存在だったのだろうか。
それならばもう、彼を応援する資格は、とうの昔になくしてしまったのだろう。